大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高知地方裁判所 昭和33年(行)13号 判決

原告

幸川三郎 外九五名

被告

高知県教育委員会

主文

本件訴はいずれもこれを却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人らは「原告らが被告高知県教育委員会に対し、『高知県立学校職員の勤務評定に関する規定(高知県教育委員会訓令第三号)』及び『高知県公立学校職員の勤務評定実施要領』に基いて、原告ら所属県立学校職員の勤務評定をなし、その評定書を提出する義務のないことを確認する。訴訟費用は被告らの負担とする。」旨の判決及び右請求が認容されない場合「被告県教育委員会が、昭和三三年六月一三日なした『高知県立学校職員の勤務成績の評定に関する規程』第六条及び第七条の制定公布処分は無効であることを確認する。」旨の判決を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

一、原告らは、被告高知県教育委員会(以下「県教委」と略称する)により任命され、別表記載の高知県立学校長として勤務している者である。県教委は、昭和三三年六月一三日地方公務員法第四〇条の規定に基いて、県立学校職員の勤務成績の評定に関し、高知県立学校職員の勤務成績の評定に関する規程(高知県教育委員会訓令第三号、以下「県教委訓令第三号」と略称する)を制定公布、同日施行し、ついで右訓令第三号、第一一条に基き、県教育長は、高知県公立学校職員の勤務評定実施要領(以下「実施要領」と略称する)を定め、原告らに対し、所属職員の勤務評定を実施し、勤務評定書を被告らに提出するよう通達し、これにより原告らは形式上所属学校職員に対し、県教委訓令第三号及び実施要領の規定に従い、勤務評定をなすべき義務を負担することとなつた。

二、しかしながら、県教委訓令第三号及びこれに基く実施要領の制定公布ならびにこれに基く被告らの原告らに対する勤務評定書提出命令は、次に述べるとおり、形式的にも実質的にも無効であり、従つて原告らに勤務評定をなす義務は存在しない。即ち、

(一)  地方公務員法第四〇条第一項は、任命権者たる県教委が勤務評定を行う旨規定している。ところが県教委訓令第三号第七条によれば校長を除く職員の勤務評定者は、職員の所属する学校の校長であるとされ、県教委教育長は、これが評定の調整者とされているに過ぎない。即ち、県教委訓令第三号第七条は勤務評定者を任命権者たる県教委であるとする地方公務員法第四〇条第一項に違反し、勤務評定義務のない原告ら校長を勤務評定者とし、かつ勤務評定をなすことを義務づけている。このように地方公務員法第四〇条に違反した県教委訓令第三号は無効である。

(二)  また、校長及びその他の職員の本務はいずれも児童生徒の教育であり、その教育は、教育基本法によつて明らかなように、教師が自己の理想とする人間像に従つて対象に働きかける極めて全人格的、個人的、創造的な活動である。このような職務の本質から教師は学問の自由、教育の自由を保障され、教育に関し、校長と各職員相互の関係は独立対等であり、かつ本質上他の介入を許さない性質を有し、教育行政権も学問の自由、教育の自律性を侵さないことをその任務の限界としていることは、教育基本法第一〇条第一項によつて明らかである。ところが、県教委訓令第三号及び実施要領は、教育を本務とする校長に対し、他の職員の教育活動内容に関し、その評定を強いるもので、その制定の動機と目的は教育の自主性民主化の原則ならびに教職員の労働法上の諸権利を奪い、かつ教育の権力的支配を確立するにあり、これは憲法第二八条教育基本法第一〇条第一項に違反するのみならず、民主主義、平和主義を基調とする憲法の精神に抵触し無効である。

(三)  勤務評定制度が勤務能率の増進という所期の目的を達成するためには、評定の方法が科学的合理的であり、かつその結果において信頼性及び妥当性がなければならない。ところが県教委訓令第三号及び実施要領はこれらの条件が満たされておらず、その評定要素は人格的評価を主とし、専ら評定者の主観的判断のみによつて評定が行われる危険性を包蔵し、到底科学的、客観的評価方法といえない。このような主観的、非科学的評定を校長に義務づけることは、社会通念上、若しくは技術的かつ客観的に不可能な評定を強いることにほかならず、これを強要する県教委訓令第三号及び実施要領ならびに職務命令は、内容が不可能である点で無効となるのみならず、校長としての良心の自由及び学問ならびに思想の自由を侵すものとして、憲法第一九条第二三条に違反し無効である。

以上に述べたとおり、県教委訓令第三号及び実施要領ならびに職務命令はいずれも憲法及び法律に違反し、若しくは社会通念上その実現不可能な勤務評定を要求するものであるから、その瑕疵が明白かつ重大であること明らかである。

三、原告らは無効な県教委訓令第三号及び実施要領、ならびに通達等の一連の処分により、原告ら個人としての前記憲法上の諸権利及び勤務の定量性の保障(労働契約の趣旨、制度目的から合理的に承認される範囲で有効な法律規則命令又は指令による職務のみを負い、それ以外の職務を課せられることがないという保障ないし法律上の利益)を侵害され、勤務評定書提出義務に違反することにより、懲戒責任を問われ、或は昇給停止、減給等の処分を受ける危険がある。

四、また、県教委が昭和三三年六月一三日制定公布した県教委訓令第三号は、形式上一般抽象的な定めであつても、それが直接国民の法律上の地位に影響を及ぼす意味において、行政事件訴訟特例法第一条にいう行政処分として行政訴訟の対象たりうるものというべきところ、校長の勤務評定義務の内容は県教委訓令第三号及び実施要領によつて具体的に確定されており、そのほかに何等の意思決定ないし処分を予定しない。この意味において、校長に対する勤務評定義務の表見的発生原因は、県教委訓令第三号及び実施要領であるといえる。そして前に述べたとおり、県教委訓令第三号及び実施要領はいずれも無効であり、原告らは個人的権利及び利益を侵害され、又は侵害される危険がある(前記二、三に述べたとおり。)

五、よつて、まず県教委訓令第三号及び実施要領の各制定公布、ならびにこれに基く通達等の一連の措置を一個の処分としてとらえ、これが無効を前提とし、原告らに勤務評定義務のないことの確認を求めこれが認められない場合は予備的に県教委訓令第三号のうち、勤務評定書及び勤務評定報告書の様式及びその使用区分ならびに評定者及び調整者等を定めた第六条、第七条の制定公布処分が無効であることの確認を求めるため本訴に及んだ。

以上のとおり述べ、

被告らの本案前の抗弁に対し、次のとおり述べた。

勤務評定義務不存在確認の訴は行政行為の無効を前提として原告の勤務評定書提出義務不存在の確認を求めるもので抗告訴訟に準ずるものである。そして本件は原告らが校長たる地位にある個人としての諸権利が侵害されたことを理由とするものであり、かかる個人としての権利が直接影響をもつ限り司法審査の対象となることは明らかである。従つて本訴が原告らの職務上の権限に関する訴訟であると曲解し、これを前提する被告の抗弁はいずれも失当である。

被告ら訴訟代理人らは、本案前の抗弁として主文と同じ趣旨の判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

原告らは、本件訴を個人として提起しているが、その主張する所は、いずれも校長たる職務上の地位に関する紛争に帰着し、原告ら個人の権利義務に関係がないから行政事件訴訟特例法第一条にいう抗告訴訟ないし当事者訴訟として認めることはできず、不適法である。即ち、

一、県教委訓令第三号及び実施要領ならびにこれに基く勤務評定書を提出すべき旨の命令は、上級行政機関たる県教委から下級行政機関たる原告ら校長に対してなされた訓令であり、職務上の地位を離れた原告ら個人に対してなされたものでない。このように行政機関相互における訓令をめぐる紛争はいわゆる機関訴訟として法律に特別の定めのない限り裁判の対象とならないものというべきところ、本件に関し、そのような特別規定はない。

二、また右に述べた勤務評定書提出命令は同時に上級行政機関たる県教委から下級行政機関を構成する公務員たる原告らに対し、その優越的地位に基いて発せられた職務命令たる性質を有している。右のような関係においてなされた職務命令は行政の分野における特別権力関係の純然たる内部的秩序に関するものであり、市民法秩序における個人の権利義務となんら関係がないから、裁判の対象となりえない。

三、更に原告らの本訴は次に述べるとおり、権利侵害の事実ないし確認の利益がない。即ち、原告らは県教委訓令第三号等が無効である旨主張するが、右訓令等が本質的に無効であるとすれば、原告らはなんらの義務も負担しないから権利侵害の生ずる余地はないものというべく、また現在原告らにはなんらの損害も不利益も生じていない。原告らは、教師としての良心の自由が侵害されていると主張するが、前記訓令等は直接原告らの良心の自由を侵害するものではないし、仮に原告らが右訓令等によつて良心的制約を受けるとしても公務員たる地位にあることからくる当然の帰結であり、また良心の自由も公共の福祉によつて制約を受けることは憲法も自認するところである。また原告らは右訓令等により勤務の定量性の保障を侵害されたと主張するが、勤務の量が、右訓令等によつて、従前の公務内容、分量、勤務時間、努力の程度に比較してどの程度増大したかを具体的に主張していないからこれをもつて直ちに権利侵害ありとすることはできない。

以上のとおり述べ、

本案について「本件各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告らの請求原因のうち、原告らが県教委によつて任命された別表記載の高知県立学校校長として勤務している者であること、県教委が昭和三三年六月一三日地方公務員法第四〇条の規定に基いて、県立学校職員の勤務成績の評定に関し、県教委訓令第三号を制定公布、同日施行し、ついで県教委訓令第三号第三条第一一条に基き県教育長において実施要領を定め、原告らに対し、所属職員の勤務評定を実施し、勤務評定書を提出するよう通達したことは認める。

二、県教委訓令第三号及び実施要領ならびにこれに基く職務命令は、次に述べるとおり、いずれも適法であり、原告らの主張は失当である。

(一)  県教委訓令第三号は、地方公務員法第四〇条の規定に基き制定公布されたものであるところ、同条において任命権者を勤務評定実施権者と定めていることは、右実施権者をもつて直ちに勤務評定者とする趣旨ではない。従つて、県教委が学校教育法第五一条第二八条及び地方公務員法第三二条によつて、所属職員に対し監督権を有する校長を評定者と定め、かつその権限の一環として所属職員の勤務評定をなさしめることはもとより法の容認するところであり、これを基礎とする実施要領及び職務命令ももとより適法である。

(二)  次に原告らが教育基本法第一〇条第一項により、教師として教育に対する不当な支配介入をされないことの保護を受け、かつ教育に関し、教育の自主性、民主化の原則が基調となつていることは原告所論のとおりであるが、校長も職員も相互対等であり、その間に階級性もなく、また服務監督権もないとするのは教育そのものと教育行政の二面性を無視混同した論議である。校長は教師として、教育に関し、他の職員と同様に原告主張のような各種の保障を与えられているが、同時に教育行政に関しては、校務をつかさどり、職員に対し服務監督権を有することは、教育関係諸法の規定から明らかなところであり、教育行政面における人事管理の基礎資料たる勤務評定をなすことは、その動機及び目的においてもなんら違法視さるべきでないし、勿論憲法第二八条及び教育基本法第一〇条第一項にも違反するものでない。原告らの主張は、行政目的が上司と下僚の公務員の系統的協力による公共の福祉の実現にあることを忘れ、教員、校長ならびに教育委員会の教育に関する現行実定法分野における地位、権限、職責等を単に制度上の形式論として取扱い、現行諸法令を離れ、独自の見解を展開するもので、所論は到底容認できない。

(三)  また原告は、勤務評定に関し、人事院規則に規定する諸条件の具備を要求しているが、人事院規則は国家公務員法第七二条に基き制定され、国家公務員に対し適用されるもので、その基準は参考資料となりうるとしても、右諸規定が直接本件勤務評定に関し適用されるものではない。また原告らは県教委訓令第三号及び実施要領等に基く勤務評定の実施が不可能であると主張するが、これは実体を無視した論議であり、同種の勤務評定が殆ど全国において実施されていることは明白にこれを裏づけているものといえる。さらに原告らは、県教委訓令第三号において校長を勤務評定者と定めることは、原告らの校長として良心の自由若しくは思想の自由を侵害するものである旨主張するが、その理由がないことは本案前の抗弁において述べたとおりである。

理由

一、本件訴訟は、まず第一に原告らが県教委のなした県教委訓令第三号及び実施要領の制定公布行為ならびにこれに基く職務命令がいずれも無効であることを前提とし、原告らに勤務評定義務のないことの確認を求めるものである。

ところで本訴は、いずれも行政庁たる県教委が被告として訴えられていることからして(行政事件訴訟特例法第三条参照)、まず行政事件訴訟特例法第一条にいう行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴(以下抗告訴訟という)として認められるかどうかについて考えてみる。いわゆる抗告訴訟といわれるためには、行政処分の違法な処分そのものの取消変更を求めるとか、或は行政処分としては無効であるが行政処分としての外観をもつため、その表見的存在がもたらす原告の法律上の地位に対する不安危険を除去するという意味において抗告訴訟に準じて認められる行政処分の無効確認を求めるものでなければならないと考えられるところ、原告らが本訴において求めているのは、行政処分(本件の場合何が行政処分であるかは別として)の無効を前提として、現在原告らに公法上の義務がないことの確認を求めるものであり、行政処分そのものの無効確認を求めているわけではない。従つて本訴は原告主張のように抗告訴訟若しくはこれに準ずる性質をもつものではない。

次に本訴が行政事件訴訟特例法第一条にいう公法上の権利関係に関する訴(以下当事者訴訟という)として許されるかどうかについて考えてみる。一般的にいつて、行政処分が無効である場合、これにより権利を侵害された者は、その行政処分そのものの無効確認を求めることとは別に、その無効であることを前提として、直接現在の法律関係の確認等を求めることも許されるものと解せられ、そのような訴が右にいう当事者訴訟としての性質をもつことは明らかである。本訴は勤務評定書を提出すべき旨の行政処分が無効であることを前提として、直接右処分に基く提出義務のないことの確認を求めるというのであるから、この訴の性質は公法上の権利義務関係の存否確認として、右にいう公法上の当事者訴訟たる性質をもつものといえる。しかし、公法上の当事者訴訟として、訴が適法であるためには、さらに行政事件訴訟特例法第一条により民事訴訟法の規定が適用される結果相対立する権利主体間の訴訟形態をとり、当事者はいずれも権利主体でなければならないことも明らかである。しかるに被告たる県教委は、行政庁であり、権利主体たる地位をもたないこと明らかである。従つて本件訴を当事者訴訟として取扱うとしても、右に述べたように被告は、権利主体でなく、被告たる当事者能力を欠くものというべく、またほかに本件訴に関し出訴を認める旨の特別規定もない。

してみると、本訴はその余の判断をまつまでもなく不適法であるから、これを却下すべきである。

二、次に、原告らが本件訴訟において求めているのは、県教委訓令第三号第六条、第七条の制定公布処分の無効確認である。しかしそのいう所は制定公布という訓令成立過程における手続上の瑕疵を問題とするのでなく、右訓令の効力そのもの自体を独立の問題として裁判の対象とするものであることは主張自体から明らかなところである。

ところで、本件県教委訓令第三号は、その第六条において「勤務評定書及び勤務評定報告書の様式とその使用区分は別表のとおりとする。」と規定し、その別表において県立学校に勤務する職員の勤務評定書及び勤務評定報告書の様式と使用区分を定め、同第七条第一項は「評定者及び調整者は次の表に掲げるとおりとする。」旨規定し、その表において、校長、校長職務代理者の評定者を県教育委員会教育長(教育長に事故あるとき又は教育長が欠けたときはその職務代理者)とし、また校長及び校長職務代理者を除く職員については、その評定者を職員の所属する学校の校長(校長に事故あるとき又は校長が欠けたときはその職務代理者)、調整者を県教育委員会教育長(教育長に事故あるとき又は教育長が欠けたときはその職務代理者)として各規定しさらに同条第二項において「評定者及び調整者は、前条に定める勤務評定書により評定又は調整を行うものとする」旨定めているところ右規定のうち、第六条は、勤務評定書及び勤務評定報告書を作成するさいの記載事項についての様式と使用区分を規定し、劃一的処理を必要とする勤務評定の記載事項の基準を設定したものにほかならず、また同第七条は、その規定からすれば、現在及び将来における不特定多数の県立学校職員が勤務評定者もしくは被評定者となること、及びその場合の評定者と被評定者になる者の職務上の地位ならびに勤務評定書の様式及び使用区分は同第六条によること、を定めたものにほかならず、結局右各規定は、特定の原告ら校長のみを対象とし、直接勤務評定者としての具体的義務を負担させる趣旨のもとに規定されたものでないこと明らかである。

したがつて県教委訓令第三号第六条及び第七条は、いずれも一般的、抽象的法規範の定立をその内容とし、原告らが右訓令によつて、直接権利義務に影響を受けるものでなく、さらに勤務評定を提出すべき旨の行政処分(本件に関しこの趣旨の職務命令が出されていることは当事者間に争いがない)をまつて始めてその権利義務が具体化されるものというべきであるから、結局本訴は行政事件訴訟特例法において準抗告訴訟として認められる無効確認訴訟の対象たる行政庁の処分とはいえず、裁判所の権限に属しない事項について判断を求めることに帰着し、その余の判断をするまでもなく不適法として却下すべきである。

三、よつて、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例